では、フランスとヴェルディの関係はどうだったのか?
それは決して甘い関係ではなかった。パリ・オペラ座の依頼で「シチリアの晩鐘」
を作曲したのは1855年。ヴェルディは既に「リゴレット」等の中期の三大傑作を
世に送り出し、イタリアでの名声は不動のものとなっていた。
にもかかわらず、オペラ座は傲慢だった。
渡された台本はいわば使い回し。身勝手なプリマドンナに怠惰なオーケストラ等々。
公演はまずまずの成功だったけれど、生真面目なヴェルディはパリに辟易していた。
それでもパリでの成功はヨーロッパでの成功を意味するのだから、オペラ座からの
オファーは魅力的だ。そうして十数年後、2度目の依頼を受け、最高傑作「ドン・カ
ルロ」が作曲された。
晩年ヴェルディはミラノに養老院「音楽家のための憩いの家」を建設した。
そこに併設される礼拝堂にヴェルディの棺が納められている。偉大な作曲家の葬送
は、国家的行事となり、トスカニーニの指揮にスカラ座のオーケストラと800人の
合唱で演奏されたのは、そう「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」だった。
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